ゲーム研究入門もどき

素人による素人のためのゲーム研究入門のようなもの(と雑記)

Q.ゲームって何?

A.さぁ…?

 

こんにちは。二代目です。

のっけから無責任な感じでぶん投げましたが、実質初回ということで今回はゲームについて語る前に「そもそも“ゲーム”って何よ?」というありきたりだけど案外難しいギモンについて考えてみます。

そもそもお前は誰だこのブログは何だという方は、よろしければこちらの記事というかご挨拶の方もお願いします。

 

皆さんにとってゲームって何ですか?

まぁ、色々あると思います。遊びや癒しなど自分との関わりについて思い浮かべる人も、なんかピコピコしてるやつをふわっと思い浮かべる人も、はたまたボードゲームやカードゲームを思い浮かべる人、スポーツの試合を思い浮かべる人もいるでしょう。

それはそれでいいのですが、ではそれらに必ず共通する、ゲームの「定義」とも呼べるものは何なのでしょう?

 

試しに辞書でも引いてみましょうか。

ゲーム【game】

①遊戯。勝負事。

②競技。試合。

③テニスなどの試合で、セットを構成する一区切り。

④ゲームセットの略

 広辞苑 第七版(2018)

どうやらこういうことになっているようです。

ただ、これは辞書としての役割は十分果たしていると思いますが、「ゲーム」という言葉を説明はしていてもゲームそのものを定義しているとは言えない気がします。

というのも、どうやらその定義とやらはなかなか難しいようで、ゲーム研究やゲーム批評、ゲーム開発の場においても広く共有された定義は無いと言っていいでしょう。

もちろん、それぞれにそれぞれの「ゲーム」観はあるでしょうし、私にも私の「ゲーム」観があります。それらが間違っているということでは決してないと思いますが、それはあくまで私やあなたの関心や好みに基づいた個人的なものであって、必ずしも誰もが納得できるものではないでしょう。

そんな決まった答えが見当たらない問いだからこそ、冒頭では「さぁ?」とぶん投げてみました。

 

とは言っても、「何なんでしょうね…」で終わりでは話にならないので、ここはひとつこれまでの様々な研究や評論の中でなされてきた「ゲームとは何か」という議論や定義付けについて時系列順に紹介してみたいと思います。 

※長いよ!

ホイジンガやカイヨワの定義はゲームというよりもっと広く「遊び」一般の定義ですが、ゲームが遊びの一種であることから現代のゲーム定義論においても必ず引き合いに出されるので併せて紹介します。

 

 

目次

 

 

A:ヨハン・ホイジンガの定義

ホモ・ルーデンス』(1938)

オランダの歴史家ヨハン・ホイジンガは、それまでの「余剰エネルギー説」や「気晴ら
し説」「練習説」など、遊びを何か他の行動の従属的な行動としてとらえていた考察を正面から否定する形で、「遊びは文化の一部なのではなく、文化そのものが遊びであり、人間の本質である」と戦争や宗教、経済などあらゆる人間の文化的活動の源泉に遊びの存在があると語りました。

その上で、遊びの形式的特徴を以下のように整理しています。

 

① 自由な活動

 命令されて行うものはもはや遊びではない 。

② 日常の生ではない

「必要や欲望の直接的満足という過程の外にある」

ここでホイジンガが挙げる欲望とは生理的な必要に迫られたものである。

③ 完結性と限定性

日常生活から時間と空間によって区別される。また、何ら実生活上の利益を生まないもの。

④ 秩序を創っている
遊びの場は秩序が統べていて、遊びは秩序を持つ。秩序こそが遊びである。

サッカーが球遊びと区別されるのはルールによるものであるように、遊びとは物質的な道具や現象ではなくそこに存在する秩序である。

⑤ 緊張
実際にやってみないと結果が分からない不確実性。競争的になればなるほど高ま
る。実力と難易度の均衡とも呼べるだろう。

 

④を見れば分かるようにホイジンガの遊び観は本人が「高級な遊び」と呼ぶルールのあ
る遊びに重点が置かれていて、子犬の遊びのようなルールのない遊びにはあまり言及されていません。

 

B:ロジェ・カイヨワの定義

『遊びと人間』(1958)

カイヨワはホイジンガの論考を受け、それまで軽んじられていた「遊び」こそが人間の
本質であるとした彼の論証を称えながらも、

「彼の著作は遊びの研究ではなく、文化の分野における遊びの精神の——もっと正確に言えば、遊びの一種類である規則のある競争の遊びを支配する精神の——創造性の探求なのである。」(『遊びと人間』p.30-31)

と、一部に瑕疵があることを指摘する形で、自身も遊びの特徴を以下のように整理しました。


① 自由な活動
② 隔離された活動
③ 未確定の活動
④ 非生産的活動
⑤ 規則のある活動
⑥ 虚構の活動 (≒模倣、フィクション)


これらの定義は概ねホイジンガのものと重なっていますが、留意しておきたいのは④について、カイヨワの主張は「利益を生まない」ではなく「生産をしない」であるという点です。

一見同じように聞こえますが、ギャンブルのように「財産を発生させはしないものの、その所有権が移動することで誰かが利益を得る遊び」の存在を肯定するカイヨワの定義は、ホイジンガ以上に遊びを広範に捉えていると言えます。
もう一点、⑤についても補足が必要でしょうか。これは「日常生活上の規則や規範と異なる規則」が存在するという意味のようです。②でカイヨワは遊びが時間的・空間的に日常生活と隔離されていることに言及していますが、⑤では意味的・倫理及び規範的にも隔離されていることに言及している、と言ってもいいでしょう。

言葉遊びのようですが、ルールのない遊びにおいては「ルールを設けない」あるいは「日常生活のルールを適用しない」という「より上位のルール」(メタルール)が存在しており、秩序的な遊びも無秩序的な遊びもその中に存在しているというのがカイヨワの主張です。

ホイジンガが「秩序」を定義に含めているのに対して、カイヨワが「規則」に相当する語を用いたのは、言葉の次元・ニュアンスの違いを表しているとも言えますね。

カイヨワは無秩序的な遊びの存在を肯定しています。

 

以上の定義の上で、カイヨワは遊びを4つの類型と秩序の有無によって分類することを試みました。

定義の話題からは逸れるますが、遊びないしゲームを分類する方法として非常に優れたものとしてよく引用されるので、カイヨワの分類を整理しそれぞれに相当する遊びを例示した表を以下にのっけときます。

f:id:IObjection:20190126143025p:plain

 

C:クラーク・C・アブトの定義

『Serious Games』(1970)

① 意思決定者によって

② ある目的に向けて

③ 競われる

④ ルールをもった文脈

 

D:エリオット・アヴェドンとブライアン・サットン=スミスの定義

「The Study of Games」(1971)

① 自発的に

② システムを制御する行いであり、

③ 不均衡な結果を作り出すために

④ 競争し、

⑤ ルールによる制限が存在する。

 

E:バーナード・スーツの定義

『キリギリスの哲学—ゲームプレイと理想の人生』(1978)

哲学者スーツは、

① 自発的に
② 不要な障害を
③ 乗り越えようと努力すること

の三点をプレイヤーがプレイヤーであるためのゲーム内での態度・ゲームプレイの定義だとしている。重ねて、その態度を形成することができる理由として

④ ゴールがあり
⑤ そこに至るまでにルールがある

ことを挙げている。言い回しや着眼点に差はあれど、非生産性や緊
張・未確定などのルドゥス的遊びの定義ともある程度の共通点が見出せる。

 

F:マローンの定義

『Toward a theory of intrinsically motivating instruction』(1981)

ゲーム研究者であるマローンは、教育現場でのゲームの効果を検証する実験を通してゲームとプレイヤーの関係性に以下の三つが特徴的に存在することに気付きました。定義ではなく「面白いゲームの特徴」だが、参考にまでにご紹介。

 

① 挑戦

 (ア)目標の存在
 (イ)目標達成が不確実であること
 (ウ)自己評価(自尊心)

② 空想

 (ア)外的空想と内的空想
 (イ)空想の認知的側面

③ 好奇心

 (ア)感覚的好奇心
 (イ)認知的好奇心
 (ウ)情報的フィードバック

 

「フィードバック」については、マローンはゲームそのものがフィードバックである「応答的空間」だとしていて、これは「定量化可能な結果」ともつながる特徴ですね。

「挑戦」は不確実性や対立の構造と密接につながっているし、「空
想」は虚構性や模倣の遊びであることなどとつながりが深いものと言えるでしょう。

 

G:クリス・クロフォードの定義

『The Art of Computer Game Design』(1984)
物語論やインタラクティビティについて幅広く論じているゲームデザイナーであるクロフォードは、ゲームに共通する要素として以下の4つを挙げている。

 

① 表現(描写・表象)

ゲームプレイに必然的に認知や解釈の過程が存在することをも示唆している。

② インタラクション(相互作用・やりとり)

ゲームシステムはプレイヤーの入力に対して何らかフィードバックを返す。それを
受けてプレイヤーはまた新たに意思決定を行う。この循環的・相互的な構造がインタラクションである。

③ コンフリクト(対立)

対立は緊張と不確実性を伴う。

④ 安全性
ゲーム内の失敗は直接日常生活に影響しない。隔絶性とも言える。

 

H:ラフ・コスターの定義

『『おもしろい』のゲームデザイン』 (2005) 

ゲームデザイナーであるコスターはゲームを「現実世界のさまざまな課題と同様に、人が習得すべきパターンを提示するパズル」と定義し、その楽しさの要素は「パターンを習得したいと感じること」であると指摘しました。

 

I:イェスパー・ユールの定義

『ハーフリアル』(2005)
① ルール

② 変数、定量化可能な結果

③ 結果内容に準じた価値設定が可能

 ポジティブな結果だけが用意されているのではない

④ プレイヤー努力

⑤ プレイヤーと結果のつながり(こだわり)

 勝つと嬉しい、負けると悔しい

⑥ 交渉可能な結果

 結果を現実世界のできごとと紐づけても、紐づけなくてもいい

 

J:ジェイン・マクゴニガルの定義

『幸せな未来はゲームが創る』(2011)

① ゴール
② ルール
③ フィードバック
④ 自発的参加

 

K:ケイティ・サレンとエリック・ジマーマン

ルールズ・オブ・プレイ』(2004)

① ルールで定められた
② 人工的な対立に
③ 参加するシステムであり
④ そこから定量化できる結果が生じるもの

この 4 点をゲームの中心的な定義とした彼らは、ゲームを語る上で核となる概念
としてもう一点、「意味ある遊び」という概念を提唱しています。これは非常に多義的で射程の広い言葉ですが、まとめるならば「プレイヤーの行為に対してゲームシステムが応答し、その関係性をプレイヤーが認識し、ゲームプレイという全体の文脈にその一連のやりとりが統合されたときに生じるもの」である。

これは他の研究者がゲームの定義に含めている「インタラクティビティ」や、後にマローンなどがゲームの特徴として挙げている「フィードバック」の存在をも包含しており、確かに「ただの"システム"を"ゲーム"足らしめる核」となり得る概念であると言えるんじゃないでしょうか。

加えて、サレンらは「ゲーム」のうち特に「デジタルゲーム」の特徴の中でデザイナーが特に優先すべきものとして以下を挙げています。

① 即座だが限られたやりとり(インタラクション)
② 情報の扱い
③ 自動化された複雑なシステム
④ ネットワーク化された通信(コミュニケーション)

 

 まとめと比較

長々とお付き合い頂きありがとうございます。おまたせしました、まとめです。正直書いてて疲れましたがせっかく書いたのでここまでご紹介した定義を比較してみましょう。

表にするとこんな感じ。(ルールズ・オブ・プレイの表を参考に加筆修正したもの)

 

f:id:IObjection:20190126161318p:plain

なんかこう、とっ散らかってますね。

全員に共有されてる項目が一個もない。これが冒頭で匙を投げた理由です。

ただ、それでも私たちは「ゲーム」について何らかのふわっとした認識ぐらいは持っていますよね?明確に定義はできないけれど何か近しいものはありそう、そんなゆるい集合を意味する言葉に「家族的類似」というものがあります。

家族的類似とは哲学者ウィトゲンシュタインが、言葉の意味が文脈に依存することを説明するために提唱した概念です。彼はその現象を「言語ゲーム」と称し、言葉も、そしてゲームも、すべての言語ゲーム間で共通する定義はなく、その関係性は人間の家族が「それぞれ違うがどこかしらなんとなく似ている」ような「家族的」な類似性だ、としたのです。

ゲームの定義論は現代では尽きることを知りませんが、ユールをはじめ多くの研究者がこの家族的類似観の上にゲームをゆるやかな集合として捉えて、定義以外の部分に関心を向けているようです。

現状の落としどころとしては、こんな感じなんじゃないでしょうか。

個人的にはどこまでゲームかとかよりなんでゲームは面白いのかしらとかの方が興味があるので正直定義の話はしたい人が勝手にやってくれと思っていますが、避けて通るわけにもいかないしゲームの特徴を整理することにも繋がるので一応整理してみました。

 

長々とお付き合いいただきまして、ありがとうございました。

今回の参考文献のいくつかはこちらの紹介シリーズでもとりあげていますので、興味がある方は併せてどうぞ。

ではでは。気力が尽きなければそのうちまた更新したいです。

 

(雑記)

初期のオリンピックにおいては「アマチュアリズムの精神」として「スポーツを人間育成と楽しみのために行い、物質的利益を求めない」という理念があったらしいですね。これはこの記事で紹介した各定義とかなり親和的で、当たり前ですがスポーツのゲームとしての 側面を強く感じる話だなぁと最近思いました。まる。